20208月の資本論まなぶ会の報告をします。

 

15日(土曜日)大東市サーティーホールに、数人の参加者が集いました。約2時間にわたって、輪読、レポート、そして質疑を通じ、中身の理解を計って来ました。

 

テーマは「支払い手段」としての貨幣です。「貨幣蓄蔵」や「世界貨幣」と並んで「貨幣としての貨幣」が描かれています。「価値尺度」や「流通手段」とは違う貨幣の機能で、さらには後では「資本へ転化」する貨幣が描かれます。まず、これまで見てきた直接的な商品流通と違って、商品の譲渡とその価格の実現とが時間的に分離する事情が発展することにより、支払い手段としての貨幣が生まれる、としています。

 

最初に問題になったのは①支払い手段の例として、家の貸し借り、その家賃が挙げられていますが、これは後払いであるかに描かれています。しかし、現在はどうなっているのかという疑問が出されました。昔は、落語に出て来る店子と、大家の関係から見ても、後払いだった、不動産鑑定を仕事にしているという参加者からは、今は先払いであるが、昔は後払いだったという話しが出ました。

 

次に出た問題は②支払い手段としての貨幣では、債権者と債務者という新しい人の関係が生じる。この「対立は、今ではその性質上あまり気持ちの良くないものに見え、また、一層結晶しやすいものである」とマルクスは言うが、今一つ分かり難いというものでした。これに対して他の翻訳が紹介され、例えば岩波版では「対立は今や本来あまり、のんびりしたものではないように見える。そしてもっと結晶しやすい性質のものである」、フランス語版では「もはやそれほど、お人よしの外観を持たず、云々」というのが紹介されました。貨幣が支払い手段となり、債権者と債務者とが生まれ、両者のあいだには、期日までに債務を支払わないといけない、あるいは、期日までに支払ってもらえるのか、という問題が生じます。その意味では、「あまり気持ちの良くないものに見える」という意味だと確認しました。

 

さらに③債権者と債務者の具体的な例としてはどんなものが考えられるのでしょうか。これまで「流通手段」として貨幣を見てきた例では、リンネルの織職が、それを市場で売って得た貨幣で、次に聖書を買うというものでした。しかし、むしろ今の場合、工場があって、その生産に必要な材料を購買する。しかしその際、貨幣は後払いにし、後日、その材料を使って製品を作り、それを売って得た貨幣でもって、先の借りを返すといった例が適当でした。

 

その他、④古代や中世における債権者と債務者との争いの様子が出ています。共産党宣言などから引用し、詳しいレポートがなされましたが、その中でも封建社会に於いて、「債務者は、彼の政治権力をその経済的基盤とともに失う」、それが各国のブルジョア革命につながったことが示されました。

 

なお、現代においては、国家の巨大な債務が次世代の返済を当てになされています。この債務は将来どんな形で返済されるのでしょうか。子や孫が生きる未来社会を考えるなら、今、我々は何をすべきなのでしょうか。現在の巨大な財政赤字から目を逸らさず、その意味や経緯を考えてみませんか。